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東京地方裁判所 平成8年(ワ)10368号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇万円及びこれに対する平成八年六月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、金一〇二万二五六五円及びこれに対する平成八年六月一八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、急性肝炎に罹患した原告が、右肝炎は、被告が経営する病院の医師が処方した薬剤の副作用によって生じたものであり、右医師には投薬過誤、投薬中の経過観察懈怠等の過失があると主張して、被告に対し、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき(選択的に請求しているものと認められる。)、被告に支払った診療費三二万二五六五円及び慰謝料七〇万円の合計金一〇二万二五六五円、並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年六月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求している事案である。

一  争いのない事実

1 当事者等

(一) 原告は、大正一五年四月一〇日生まれの男性であり、平成七年四月一七日、被告との間で、原告の後記「回転性の目眩」の原因究明と治療を目的とする診療契約を締結した者である。

(二) 被告は、日本赤十字社医療センター(以下「被告病院」という。)を経営する法人である。

(三) 作田学医師(以下「作田医師」という。)は、昭和五七年一〇月から被告病院の神経内科部長の役職にあった者である。

(四) 関田学医師(以下「関田医師」という。)は、現在、被告病院放射線内科常勤嘱託医であり、平成七年七月から八月にかけては、同病院内科研修医として診療に従事していた者である。

(五) 皆川伸幸医師(以下「皆川医師」という。)及び加藤某医師(以下「加藤医師」という。)は、被告病院内科の医師である。

2 被告病院医師らによる診療の経緯

(一) 原告は、平成七年(以下、特に留保しない限り「平成七年」のことであるから、その場合には月日のみで表示する。)四月一六日朝の歯磨きの最中に回転性の目眩を覚えたことから、翌日、被告病院神経内科外来で診察を受け、右症状の原因究明とその治療を目的として、被告との間で、診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。

担当医の作田医師は、原告の訴える目眩が小さな脳血管障害によるものではないかと疑い、五月三一日に頭部MRI検査、六月一日に頚部MRA検査をそれぞれ実施した。

(二) 作田医師は、六月七日、原告に対し、右MRI、MRA各検査の結果に基づき、ロコルナール錠一〇〇ミリグラム及びパナルジン錠(以下、両剤を併せて「本件薬剤」という。)を四週間分処方した。

(三) 作田医師は、七月五日、被告病院神経内科において原告を再診したが、神経症状はもとより、原告の自覚症状もなかったため、原告に対し、本件薬剤各二錠を四週間分再度処方した。

(四) 原告は、処方された本件薬剤を毎日服用した。

3 急性肝炎の発症

(一) 原告は、「七月七日ころから感冒気味で発熱し、食欲が低下した。胃部に不快感があり、同月一〇日には上腹部痛があった。その後、胃の症状はなくなったが食欲が戻らない。」として、同月一二日、被告病院内科外来を初診した。

(二) 同内科の折津医師が原告を診察したところ、体温は三六・四度で発熱や腹痛もなかったが、念のため、同日、原告の血液検査を行ったところ、GOTの値が六六〇、GPTの値が一〇五八と高値(正常値は四〇程度以下)を示したことから、折津医師は、原告の右病気を急性肝炎(以下「本件急性肝炎」という。)と診断した。

(三) 原告は、同月一五日被告病院内科に入院して本件急性肝炎の治療を受け、四八日間の入院生活の後、九月一日に退院した。

二  主たる争点

1 本件薬剤と本件急性肝炎との間の因果関係(本件急性肝炎は本件薬剤の副作用によって生じたものであるかどうか。)

2 被告病院医師らに、投薬過誤又は経過観察懈怠等の過失があるかどうか。

3 原告の被った損害

三  主たる争点に関する当事者の主張

1 本件薬剤と本件急性肝炎との間の因果関係の有無(争点1)

(原告の主張)

本件急性肝炎の原因は、作田医師が処方したロコルナール、パナルジン又は右二者の複合によるものである。

(一) 四月一七日の被告病院神経内科初診時に実施した原告の血液検査の結果は、GOT値二二、GPT値一六であり、そのころの原告の肝機能は全く正常であった。そして、被告病院内科を初診した七月一二日の血液検査において、初めて異常が発見された。原告は、この間、本件薬剤以外には、肝機能に異常をもたらすような薬を服用しておらず、また、そのような病歴もない。

(二) 原告は、七月一五日の入院から数日後、本件薬剤の服用を中止したが、中止後数日経った後、急速にGOT及びGPTの数値が下がり始めた。

(三) 右数値が下がり始めた際、被告病院は本件薬剤を回収する旨連路してきたが、原告は、これを拒否した。そして、本件薬剤が原告の体質に適応するかどうかを調査するため、関田医師を通じて、外部研究機関に対し、本件薬剤と原告の血液の分析を依頼したところ、結果は陽性であった。

(四) 関田医師は、原告に対し、「今までの検査の結果、A、B、C型肝炎ではなく本件薬剤が本件急性肝炎の原因であることがわかった。」、あるいは、「内科医のミーティングにおいて原告の症状が発表され、内科医のほぼ全員が本件薬剤が原因であるということで一致した。」旨を述べた。また、そのころ、皆川医師も、原告及びその妻に対し、薬害による症状である可能性が非常に高いと発言した。さらに、右二医師に代わって原告の担当医となった加藤医師も、原告に対し、外部に依頼した検査結果表を見ながら、薬を原因と考えざるを得ないと漏らした。このように、被告病院の医師らも本件急性肝炎の原因は薬害性のものであると認めている。

(五) このように被告側は、従前本件急性肝炎が薬物に基づく可能性が高いことを認めながら、本訴においては本件薬剤がその原因であると断定することはできないと主張する。しかし、原告には、本件薬剤の服用以外、本件急性肝炎に罹患するような病歴又は薬剤使用歴はない。

(六) 以上のとおり、本件急性肝炎は本件薬剤の副作用により生じたものであるから、本件薬剤の投与行為と本件急性肝炎の発生との間に相当因果関係がある。

(被告の主張)

本件急性肝炎が本件薬剤の副作用によって生じたとはいえない。

(一) まず、CRPは、炎症や組織破壊が生体内に起こった場合、一二ないし二四時間以内に血中に検出されるもので、最も鋭敏に炎症の強さと消長を示し、その値の低下は炎症の改善を意味する。本件薬剤は七月一五日まで服用されているから、本件急性肝炎の原因が本件薬剤の服用にあるとすれば同月一二日以降もCRPは依然高数値を示すはずであるが、実際には同日に六・二と最高値を示し、その後は急速に低下している。

(二) また、GOT及びGPTは、いずれも炎症(肝炎)に対しCRPに比べてやや遅く数値が上昇する性質を有するから、本件急性肝炎の原因が本件薬剤の服用にあるとすれば、GOT及びGPTの検査値のピークは本件薬剤の服用を中止した同月一五日から数日後に認められるはずであるが、実際は右同日を最高にその後は低下傾向にあった。

(三) さらに、GOTとGPTでは、後者の方が血中より消失する半減期がやや長いため、本件急性肝炎の初期においてはGOTの値がGPTの値を上回り、その回復期においては逆に下回るところ、本件では、同月一二日の時点で既にGOTの値がGPTの値を下回っており、原告の本件急性肝炎は本件薬剤の服用を続けていたこの時点で既に回復期に入っていたことを示している。

(四) 加えて、本件薬剤により本件急性肝炎が発症し発熱したとすれば、本件薬剤服用中に解熱することはないが、原告は本件薬剤使用中の同月一二日の段階で既に解熱しており入院時にも発熱はなかった。

(五) 他方、原告の本件急性肝炎が原因不明のウイルス性肝炎である可能性は否定できず、また、原告は一日に焼酎を約二分の一瓶飲むほどであり、それによりアルコール性肝障害の素質があったことも本件に影響を与えた可能性がある。

(六) 以上から、本件急性肝炎が本件薬剤に起因するとはいえない。

2 被告病院医師の過失の有無(争点2)

(原告の主張)

(一) 投薬過誤

四月に被告病院を受診した際の原告の症状は、脳梗塞又は脳血栓症ではなく、小さな血栓症の痕跡があったに過ぎない。これは高齢者の殆どに見られる現象であり格別問題はない症状であるから、この状態で本件薬剤を処方する必要はなかったにもかかわらず、作田医師は、原告に対し本件薬剤を処方した。

また、通常、薬は二週間分投与されることになっている。しかるに、作田医師は、本件薬剤を各四週間分漫然と二度にわたり処方した。

よって、作田医師には、適正適量の薬剤を処方すべき注意義務に違反した過失がある。

(二) 経過観察懈怠等

本件薬剤の医薬品取扱説明書(以下「能書」という。)には、いずれも副作用として肝臓を取り上げており、「ときにGOT、GPT等の上昇があらわれることがあるので、観察を十分に行い異常が認められる場合には投与を中止すること」と明記されていたのであるから、被告側には、原告が本件薬剤を服用中も適宜肝機能や血液の検査を実施し、異常が認められた場合には本件薬剤の投与を中止すべき注意義務がある。

しかるに、作田医師は、原告に対し、原告は脳血栓症ではない、本件薬剤は単に血管を拡げる薬であり絶対に安全である旨を説明した上、本件薬剤を漫然と各四週間分処方して原告にこれを服用させ、さらにその後も本件薬剤四週間分を処方し服用させたもので、その間一度も肝機能検査、血液検査を行わなかった。

右検査が実施されていれば、薬害性肝障害は初期の段階で必ず発見できたはずであり、原告は四八日間の入院を強いられることもなかった。

さらに、原告は、入院時(七月一五日)の診察の際、担当医の皆川医師に対し、本件薬剤を服用してから体の変調を来したと申し述べた。それにもかかわらず、同医師は、全く取り合わず、右同日以降も右薬剤の服用を指示したものである。

以上のとおり、被告医師らには、薬剤投与中の経過観察を怠った過失及び異常を認めた後も本件薬剤の投与を中止することをしなかった過失がある。

なお、被告は、本件薬剤による肝機能障害の副作用を具体的に予見することは困難であると主張するが、本件薬剤の能書を読んでいれば予見できたはずである。

(三) 右(一)、(二)によると、前記の被告医師らには右のとおりの過失があり、これによって原告は後記損害を受けたものであるから、被告は、原告に対し、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償責任を免れないものである。

(被告の主張)

(一) 投薬過誤について

原告については、四月一七日の神経内科初診時に実施した血液検査の結果において、GOT値は二二、GPT値は一六と正常範囲内であり、その他特に肝障害を疑わせる具体的な所見もなかったのであるから、本件急性肝炎を具体的に予見することは不可能であり、それを予見せずに本件薬剤を処方したとしてもそのことに過失はない。

原告は、被告病院において、五月三一日施行の頭部MRI、六月一日施行の頚部MRAの各所見から脳血栓症と診断を受けており、原告が訴えた回転性の目眩は小梗塞によるものと考えられ、その治療としては再発の防止が最優先されるのであるから、作田医師が本件薬剤を処方したことは当然のことである。また、本件薬剤はいずれも厚生省告示によって一回三〇日分までの処方が認められている。

よって、作田医師には投薬上の注意義務違反がなかった。

(二) 経過観察等懈怠について

通常、処方した薬物にときに副作用が起こるという抽象的危険があるからといって、何らの具体的な異常所見もないのに血液検査や肝機能検査を行うことはない。したがって、原告が自覚症状を訴えて被告病院に受診するまでこれらの検査をしなかったことに過失はない。

また、原告の症状に異常を認めた後も本件薬剤の投与を中止しなかったという点は否認する。本件薬剤の投与は、原告が入院した七月一五日に中止されている。

3 損害

(原告の主張)

原告は、前記のとおり、被告側の不注意により、本件急性肝炎に罹患し、かつ、四八日間も入院治療すること等を余儀なくされたのであるから、従前、原告が被告に支払った治療費等の合計三二万二五六五円は被告の右行為により被った損害である。また、原告は、右により本件急性肝炎に罹患、長期間の入通院を強いられ、精神的苦痛を被ったから、これを慰謝するには七〇万円が相当である。

(被告の主張)

争う。

第三  争点に対する判断

一  事実経過

前記争いのない事実、《証拠略》によれば、原告の病状及び被告病院における治療等の経緯として以下の事実は認められる。

1 原告(大正一五年四月一〇日生)は、四月当時、満六九歳の男性であり、慢性肝炎等肝機能障害を疑わせる既往歴は特になく、右に先立つ二月一七日に実施された血液検査においても、GOT値二一、GPT値一四といずれも正常値を示しており、肝機能は正常であった。

2 原告は、四月一六日早朝、歯磨きの最中に突然約三〇秒から約一分間にわたる回転性の目眩を感じたことから、翌一七日、被告病院神経内科で作田医師の診察を受けた。その際、眼球振動や目眩等の神経症状はなく、血液検査でもGOT及びGPTの数値に異常はなかったが、作田医師は、原告の右回転性の目眩から、脳血管障害の可能性を疑い、五月三一日に頭部MRI検査、六月一日に頚部MRA(血管造影)検査を各実施した。

3 右MRA検査では右椎骨動脈の口径は正常範囲内であった。しかし、右MRI検査の結果、頭部に明らかな梗塞巣は見当たらなかったものの、ラクナ型梗塞(脳血管の小梗塞)が発見されたことから、作田医師は脳血管障害と判断した。

そこで、同医師は、六月七日、原告に対し、血液検査の結果は正常であること、頭部に一、二か所血栓症の痕跡があるが、これは六〇歳以上になると通常見られる症例であるから、脳血栓症であるとはいえず、心配無用であること、目眩の自覚症状があったことに照らし、血管拡張剤を処方するなどと説明した上、ロコルナール錠一〇〇ミリグラム及びパナルジン錠(本件薬剤)を各二錠を二八日間(四週間)分処方した。原告は、右同日から、本件薬剤の服用を開始した。(なお、被告は、作田医師の診断は脳血栓症であった旨を主張する。確かに、カルテには「脳梗塞」との記載があり、脳梗塞はその原因により脳血栓症と脳閉塞症に分類されており、脳血栓症は脳梗塞の一種と認められるから、カルテの右記載は被告の主張をうかがわせるものではある。しかし、前記認定のとおり、MRI検査でも明らかな梗塞巣は認められなかったのみならず、カルテには一旦「脳血管障害」と記載され、その後殊更に抹消されて「脳梗塞」と訂正されており、その訂正経過がやや不自然である。前記MRI検査の結果発見されたラクナ型梗塞(脳血管の小梗塞)が「脳梗塞」の一種であれば、右訂正自体が間違いであるとはいえないとしても、それをもって直ちに「脳血栓症」とすることが相当であったとは容易に考えられず(これを相当とする的確な証拠はない。)、その他本件証拠上認められる一切の事情に照らして、作田医師が原告を脳血栓症と診断したとはにわかに認め難く、仮にそのような診断をしたとしても、それが相当であったとも認め難い。)

4 ロコルナールの成分は、一九七二年に東ドイツで開発されその薬局方に収載されたトラピジルで、血小板凝集の抑制作用、脳血流量増加作用及び脳代謝改善作用を有し、脳梗塞後遺症、脳出血後遺症に対し効能・効果を発揮するとされている薬剤であり、作田医師が原告に投与することとしたロコルナール錠一〇〇ミリグラムは、一錠中にトラピジル一〇〇ミリグラムを含有し、添加物としてマクロゴール四〇〇を含有し、その能書(持田製薬株式会社作成。甲一)には、用法・用量として「トラピジルとして、通常成人一回一〇〇ミリグラムを一日三回経口投与する」旨の記載があり、また、使用上の注意として「肝障害のある患者には慎重に投与すること」との記載があり、副作用として肝臓を取り上げ、「ときにGOT、GPT等の上昇があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止すること」との記載がある。

パナルジン錠は一錠中に塩酸チクロピジン一〇〇ミリグラムを含有し、フランスで発見されたものを第一製薬株式会社及びサノフィ社とが共同開発した薬剤で、血小板機能抑制作用を有し、虚血性脳血管障害(一過性脳虚血発作(TIA)、脳梗塞)に伴う血栓・塞栓の治療に効能・効果があるとされており、その能書(第一製薬株式会社作成。甲一)には、用法・用量として「(患者に対する改善目的に応じて)通常成人につき塩酸チクロピジンとして一日二〇〇ないし三〇〇ミリグラム又は一日三〇〇ないし六〇〇ミリグラムを、二ないし三回に分けて経口投与し、一日二錠の場合には、一回に経口投与することもできる」旨の記載があり、また、使用上の注意の項には一般的注意として「本剤投与中は定期的に血液、肝機能検査を行うことが望ましい」、肝臓に関する注意事項として「まれに黄疸(嘔気・嘔吐、食欲不振、倦怠感、掻痒感等が先行してあらわれることが多い)、また、ときにGOT、GPTの上昇等があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと」との記載がある。

5 原告は、七月五日、再度、作田医師の診察を受けたが、眼球運動や目眩等の神経症状が認められず、また自覚症状も特になかった。そこで、作田医師は、右六月七日に引き続き、原告に対し、本件薬剤各二錠を四週間分再度処方し、原告は一か月後の再診予約を行った。その際、作田医師は、原告に対し、本件薬剤の服用について格別の注意をせず、副作用と思われる症状等があった場合には直ちに被告病院の診察を受けるようにとの注意もしなかった。なお、原告は会社を退職し被告病院に極めて近い自宅で療養していたもので、被告に通院して経過観察(血液検査等)を受けることは極めて容易であった。

6 原告は、七月七日ころから、感冒気味で発熱(三七・二度)した上、食欲が低下し、胃部の不快感もあったところ、同月一〇日には、上腹部痛がみられた。その後、胃の右症状は消失したものの食欲が戻らなかったため、同月一二日、原告は右症状を訴えて被告病院内科の折津医師の診察を受けた。その際、原告の体温は平熱であり、腹部痛等は特になかったことから、同医師は、原告に対し、マーズレンS(消炎性抗潰瘍剤)を処方するとともに、念のために血液検査を実施した。

7 原告は、同月一四日、被告病院内科から、右血液検査で異常が発見されたので来院するよう電話連絡を受け、同月一五日、同内科に赴いたところ、GOTの値が六六〇、GPTの値が一〇五八と異常な高値(正常値はいずれも四〇程度以下である。)を示した旨を知らされた。

折津医師は、GOT(グルタミン酸オキザロ酢酸トランスアミナーゼ)及びGPT(グルタミン酸ピルビン)の性質(両者とも細胞が破壊され血清中に漏れ出た逸脱酵素であり、特に肝機能障害の存在をよく反映することから、右異常な高数値は本件急性肝炎を疑わせるものである。)からして、それが極めて高い数値を示したことから、原告を重症の急性肝炎と判断した。そこで、同医師は、同日、原告に対し、その旨を伝え、改めて原告の血液検査を実施したところ、GOT値が一一八〇、GPT値が一七〇八と前回よりも高数値を記録した。

同医師は、原告に対し直ちに被告病院内科に入院するよう勧め、原告も直ちに入院治療を受けることを希望した。

8 右の経緯によって、原告は、七月一五日、被告病院内科に急遽入院して、本件急性肝炎につき皆川医師及び関田医師の治療を受けることになった。

原告は、それまで本件薬剤を医師の指示どおり継続的に服用していたが、同日、関田医師から服用を休止する旨の指示を受け、翌一六日以降、本件薬剤の服用を停止した(この点につき、原告は、入院時、担当医の皆川医師に対して、本件薬剤を服用してから体調が悪くなったと訴えたが聞き入れられず、入院後も本件薬剤の服用を命じられたと主張し、原告作成の陳述書にはこれに沿う部分が存する。しかし、乙三号証一一三丁の治療方針を指示した経過表中には七月一五日付で「神内より ロコルナール 一時休薬」、同号証一二四丁表看護経過用紙中には同日付で「Dr関田 神内の薬は止めにして下さい。肝機能←(マイナスないし低下の意味と認められる。)を助長させるため。7/16より止めとする。」と各記載されているところ、右文書の性質・体裁に照らすと、右記載は医師の指示事項を機械的にメモしたものと認められ、形式や内容にも特段不自然な点は看取できないこと、原告はGOT、GPTの各数値が異常値を示したため、直ちに入院するよう勧告を受けたのであり、このような場合には、次の9記載のとおり、関田医師において当初本件急性肝炎の原因がウイルス性のものと疑っていたとしても、肝機能のマイナス要因となり得る薬物の使用を禁止するように措置することは通常の事態と考えられることに照らすと、原告の陳述書中、右主張に関わる部分は直ちに信用することはできず、他に右主張に係る事実を認めるに足りる証拠はない。)。

9 右の七月一五日、関田医師らは、まず、原告の本件急性肝炎の原因としてウイルス性肝炎を疑い、既知のA型、B型、C型の各肝炎ウイルスについて、抗原・抗体検査を行ったが、結果は陰性であった。

同月一七日、一九日の白血球分画検査では、アレルギー性疾患の際に増加する好酸球の増加が認められ、同じくアレルギー性疾患の際に増加するIgE(免疫グロブリンE)も同月二一日の検査で九〇〇という高い数値(正常値は一〇〇以下)を示した。

七月一八日、原告が服用中の薬剤に起因する薬剤性肝炎の鑑別のため、被告病院神経内科で処方された本件薬剤中のロコルナール並びに原告が食欲不振等を訴えて被告病院内科を初診した際処方されたマーズレン及びガスターについて、薬剤リンパ球刺激試験(LST)が実施された。その結果、ロコルナールでは陽性反応を示したが、マーズレン及びガスターについてはほぼ陰性であった(なお、ガスターについては、被告病院において原告に対し処方されたのかどうか疑義があり、処方されていないとすれば、右LST検査が実施された理由は不明である。)。

関田医師は、右検査結果を被告病院消化器内科の新入院患者カンファレンスにおいて報告したところ、各医師の見解が「薬剤性肝炎が最も疑われる。」との意見で一致したことから、原告に対する治療は薬剤性肝炎を前提として行うという方針が決まった。

10 原告の血液検査の結果によると、別紙のとおり、GOT及びGPTの各値は、七月一五日を最高に、その後は低下傾向に向かった。また、CRP(C反応性タンパク)の数値は、同月一二日が六・二と最高値を示し、その後は低下した(ただし、同月二一日に一旦上昇している。)。

11 原告は、被告病院において、七月一五日から九月一日までの四八日間(延べ四九日間)、本件急性肝炎により入院加療を受けた。その後も通院治療を受けた結果、本件急性肝炎は全快した。

12 なお、被告病院は、原告に対し、本件急性肝炎は本件薬剤により可能性が高いことを右入院当時及び本訴提起の前まで認めていたにもかかわらず、本訴提起の少し前から、本件急性肝炎の発症原因としてはあらゆる可能性が想定でき、特にウイルス性肝炎であることを否定できないから、結局発症原因は不明である旨を強調し始めたものであり、原告は被告のそのような対応に最も強い不満を抱いて本訴を提起したものである。

二  以上の事実関係及び検討結果を基礎として、主たる争点につき順次検討する。

1 本件薬剤と本件急性肝炎との間の因果関係(争点1)

(一) 前記認定事実及び前掲各証拠によれば、<1>原告は、本件薬剤の服用を開始するまで、GOT及びGPTの数値が長年正常であり、特に二月及び四月の血液検査でも全く正常であったこと、<2>しかるに、本件薬剤を服用してから一か月余りで右各数値の異常が顕著に現われたこと(甲第二号証には、ロコルナールによる薬剤性肝障害の症例報告がなされているが、同症例では潜伏期間が約三週間半であり、本件において原告が自覚症状を感じたのは本件薬剤を服用してから約四週間後であって、若干の相違はあるものの、個体的素因による時期的なズレは不可避であることを考慮すると、原告の症状発現は右症例報告と近似している。)、<3>この間、原告には、本件薬剤を服用した以外に肝機能障害をもたらすような服薬や罹病はなく、そのような既往症もなかったこと、<4>本件薬剤の服用を中止してから間もなくして、GOT及びGPTの数値が顕著に減少し正常値に戻ったこと、<5>薬剤リンパ球刺激試験(LST)の結果、ロコルナールについては陽性反応が出たこと、<6>白血球分画検査では、アレルギー性疾患の際に増加する好酸球の増加が認められ、同じくアレルギー性疾患の際に増加するIGE(免疫グロブリンE)も高数値(正常値は一〇〇以下)を示していたこと、<7>本件薬剤の能書(甲一)には、ロコルナール及びパナルジンが、ときに肝臓に対する副作用があり、GOPやGPT等の上昇があらわれる薬品であることが明記されていること、<8>被告病院の医師らも、薬剤性肝障害が最も疑われるということは認めており、入院後の治療もそのことを前提に治療方針が立てられたことなどが認められ、これらを総合すると、原告の本件急性肝炎は、ロコルナールが単独で、又はロコルナールとパナルジンが複合的に作用して本件急性肝炎を惹起したものであると推認するのが自然かつ合理的である。したがって、本件薬剤の投与と本件急性肝炎の発症との間には因果関係があると認めるのが相当である。

(二) これに対して、被告は、前記のとおり、<1>炎症の消長を鋭敏に示すCRPの数値が、本件薬剤の服用を中止する以前の七月一二日から既に低下していること、<2>本件薬剤が原因であるならば、GOT及びGPTの検査値の低下は服用を中止した日から数日後に現われるはずであるのに、実際は中止日から既に低下傾向にあったこと、<3>本件急性肝炎の回復期にはGOTの値がGPTの値を下回るところ、本件薬剤の服用を続けていた時点において、既に右の現象が生じており、本件急性肝炎は回復期にあったこと、<4>本件薬剤により本件急性肝炎が発症し発熱したとするならば、本件薬剤服用中に解熱することはないが、原告は本件薬剤使用中の七月一二日の段階で既に解熱しており入院時にも発熱が認められなかった旨を主張し、本件薬剤の原因性について反論し、否認する。

右<1>ないし<4>の主張は、要するに、原告は七月一五日まで本件薬剤を服用していたのであるから、これより前に肝機能障害が回復に向かうことはあり得ないにもかかわらず、血液検査等が示すデーターは、同月一五日よりも数日前の時点から肝障害が回復傾向にあったことを示しており、このことは本件急性肝炎の原因が本件薬剤であることと矛盾するとの主張であると解される。

しかし、本件薬剤の服用及びその中止と血液検査の数値との相関関係については、個体の体質、健康状態、投薬量、投薬期間、その他の諸々の要因によって若干の誤差が生じることは十分に考えられるのみならず、<1>については、同月一二日以前のデーターがない本件では、右時点から既に数値が低下していると評価することはできないこと、<2>については、七月一五日にGOT及びGPTともに最高値を示した後、同月から同月一九日にかけてGOTの数値が一〇パーセント前後の割合で減少し(ただし、GPTは一六日以降一九日にかけて一時的に約三パーセント上昇した。)のに対し、同月一九日から二一日にかけての減少率は五〇パーセント前後にも及び、同月一九日を境として、GOT及びGPTの値が著しく減少しているのであるから、被告主張のとおりGOT及びGPTが炎症に対しやや遅く数値が上昇するとすれば、本件データーはむしろ同月一六日から服用を中止した事実に整合するものとみることすら可能であると考えられること、<3>については、一六日から一九日にかけてGPTの値が上昇しているにもかかわらず、GOTとGPTの各数値の大小関係のみで一二日の時点で既に回復期に入っていると評価することは、それ自体合理性がない立論というべきこと、<4>については、本件急性肝炎に罹患した場合でも、常に発熱状態が継続するというものではないこと等に照らすと、右被告の反論は前記認定を覆すに足りないものというべきである。

(三) さらに、被告は、本件肝機能障害を引き起こした他の原因として、第一に、ウイルス性肝炎の可能性があり、第二に、アルコール性肝障害の素質があったことが本件に影響を与えた可能性があり、医学的にその原因は不明である旨を主張する。

しかしながら、ウイルス性肝炎の可能性については、前記認定のとおり、既知の肝炎ウイルスであるA型、B型、C型の各ウイルスに係る抗原及び抗体検査の結果がいずれも陰性である以上、これらを本件急性肝炎の原因ということはできない。また、被告は、原因不明のウイルス性肝炎は臨床的に数パーセントあり、その原因ウイルスは検査、確認の方法がないと主張し、原因不明のウイルスによって本件急性肝炎が発症した可能性がある旨主張しているが、本件では、ウイルスの特定以前の問題として、そもそもウイルス性肝炎自体を疑わせる事情を認めるに足りる的確な証拠が全くないものである。そのような状況の下において、右のような原因不明のウイルスによって本件急性肝炎が発症した可能性があり得るとして、前記のとおり十分な可能性のある本件薬剤と本件急性肝炎の発症との間の因果関係を否定しようという主張は、到底採用することができないものである。

そして、アルコール性肝障害の可能性については、入院時に原告が記入した「情報収集用紙」の記載によれば、原告の飲酒量は日本酒一日一合程度であったと認められるところ、入院病歴の確定診断名には主病名として「薬剤性肝障害」に加え「アルコール性肝障害」という記載があることが認められる。しかし、カルテに右のような記載がされた根拠は本件の全証拠によっても全く不明である上、当然カルテを読んでいるはずの作田医師が、原告についてアルコール性肝障害であるとは断定せず、その素質があったと述べるにとどまっている。したがって、原告の右飲酒歴が本件急性肝炎の発症に何らかの影響を与えた可能性は必ずしも否定できないが、そのことのみをもって本件が薬物性肝炎であるとの前記認定を覆すことは相当でないというべきである。

なお、原告は本件薬剤以外に本件肝機能障害の因子となるべき薬剤を服用したものと認めるに足りる証拠は全くない。

(四) 以上のとおりであるから、原告の肝障害は本件薬剤の服用によって惹起されたと認めるのが相当である。

2 被告病院医師の注意義務違反の有無について(争点2)

医療行為は、その性質上高度な専門的知識と技術が要求されるものであり、診断及び治療方法について、各医師間で微妙な見解の相違を生じることは避けられないから、合理的な範囲内で医師の自由裁量が認められることは当然である。

しかし、医師に右自由裁量があるとしても、医療行為は、薬物投与を含めて人体に対する侵襲を通常伴うものであるから、医師には患者の容態や全身状況を十分に把握し、善管注意義務を尽くして適切な処置を講じることが要求されるのであり、殊に薬物投与の必要がある場合には、副作用等による患者の被害を回避するため、高度の業務上の注意義務が要求されるというべきである。

そこで、以下、原告主張の投薬過誤及び経過観察懈怠等の注意義務違反の存否について検討する。

(一) 投薬過誤の点について

前記認定のとおり、<1>作田医師は、五月三一日に実施した頭部MRI検査の結果、原告の頭部にラクナ型梗塞(脳血管の小梗塞)を認め、六月一日に実施した頚部MRA検査では、右椎骨動脈の口径が細くなっているとの所見を得たこと、<2>そこで、同医師は、原告を「脳血管障害」と診断し、血小板凝集の抑制作用、脳血流量増加作用及び脳代謝改善作用を有し、脳便塞後遺症、脳出血後遺症に対し効能・効果を発揮するロコルナール及び血小板機能抑制作用を有し、虚血性脳血管障害(一過性脳虚血発作(TIA)、脳梗塞)に伴う血栓・塞栓の治療に効能・効果があるパナルジンを投与することにしたこと、<3>原告は、五月一七日当時、肝障害、その既往歴及びその他既往の疾患のいずれも有しておらず、右能書において投与が禁止又は慎重を要するものとされている患者のいずれにも該当しなかった事実が認められる。

右によると、作田医師は、原告の症状の改善ないし悪化の予防に効果を有すると一般に認められている薬剤を処方したのであって、当時、原告には本件薬剤の投与が禁止されるべき特段の事情は認められていなかったのであるから、作田医師が本件薬剤を原告に対し処方したことは、それ自体不合理な治療行為であったということは到底できないものである。もっとも、原告の症状が前記のとおりであって、いわば比較的軽いものであったことからすれば、原告に対する本件薬剤の投与が必要かつ最も適切な措置であったかどうかについては、若干疑いが残る。

特に二回目の七月五日の投与については、それが無用かつ不合理なものであったとまで認めさせるに足りる的確な証拠はないものの、反面、右投薬の継続がどうしても必要であり、最も合理的な措置であったことを積極的に認めさせるに足りる的確な証拠もないと言わざるを得ない。

なお、作田医師は四週間分の投薬をしているところ、原告は、医師には本件薬剤を一度に四週間分処方してはならないとの注意義務がある(通常の場合二週間程度の投与をすべきである)旨を主張する。しかし、投薬は患者の症状、疾病の進行状況、薬物の内容、副作用の程度、その他の諸事情を考慮してなされるものであり、前記認定の投薬の経過、本件薬剤の能書の記載内容等に照らして、作田医師が原告に対して一度に四週間分を処方してはならないという注意義務を負っていたと認めさせるに足りる的確な証拠はない。

よって、作田医師に原告主張に係る投薬上の過失があったとは認められない(後記のとおり、投薬後の経過観察を要するかどうかは別個の問題である)。

(二) 経過観察懈怠等の点について

(1) 医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の副作用(危険性)について最も高度かつ専門的な情報を有する製造業者等が投与を受ける患者の安全を確保するため、これを使用する医師に対し、必要な情報を提供する目的で記載するものであるところ、医師としては、前記のとおり患者の容態や全身状況を十分に把握し、その注意義務を尽くして適切な処置を講じることが要求されるのであるから、少なくとも医薬品の能書に記載された使用上の注意事項を遵守すべき義務があり、これに違反して医療事故が発生した場合には、注意事項を遵守しなかったことについて特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されると解するのが相当である。

(2) これを本件について見ると、前記のとおり、ロコルナールの能書(甲一中の持田製薬株式会社作成部分)の使用上の注意の項には、「肝障害のある患者には慎重に投与すること」との記載があり、副作用として肝臓を取り上げ、「ときにGOT、GPT等の上昇があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止すること」という記載があり、他方、パナルジンの能書(甲一中の第一製薬株式会社作成部分)にも使用上の注意の項に一般的注意として「本剤投与中は定期的に血液、肝機能検査を行うことが望ましい」、肝臓に関する注意事項として「まれに黄疸(嘔気・嘔吐、食欲不振、倦怠感、掻痒感等が先行してあらわれることが多い)、また、ときにGOT、GPTの上昇等があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと」という記載があり、これらの記載からすれば、ロコルナールやパナルジンは、患者に対し、その副作用によってGOTやGPTの上昇、黄疸等の急性肝炎をもたらす危険性があるので、本件薬剤を投与するときは、投与後患者の経過観察を十分にすべき旨が能書上明記されていたものというべきである。

そして、本件薬剤が肝炎を惹起する抽象的な危険性を有することを告知されておらず、そのことを全く自覚していない原告のような患者においては、本件薬剤によって肝炎が発症することについてまで自ら注意することは通常あり得ないこと、通常の患者が自ら血液検査等をしてGOT、GPTの数値等を知ることは実際上不可能であり、肝炎の発症を自覚症状のみによって早期に察知することは通常の場合困難であること、原告は、本件薬剤を既に長期間服用して、前記副作用等がないことが判明している患者は異なり、本件薬剤がその体質等に適合するかどうかが極めて不確定な段階にある患者であったこと、個別の偶然的事情ながら、原告は被告病院に極めて近い自宅で療養しているものであって、原告について採血検査を含めて経過観察をすることは極めて容易であったこと(GOT、GPTの数値を正確に測定する方法としては採血検査が最も妥当で、採血自体は極めて容易にできるものであることは公知の事実である。)などに照らすと、作田医師は、少なくとも七月五日に第二回目の本件薬剤の投与の継続措置をするに際しては、その時点において、原告につき十分な経過観察をし、前記血液検査等を実施するなどして、原告が本件薬剤によって肝炎等の副作用を被っていないかどうか、そのおそれがないかどうかについて的確に把握しておくべき注意義務があったものというべきである。

しかるに、前記認定のとおり、作田医師は、六月七日、原告に対し、四週間分の本件薬剤を投与し、かつ、七月五日の再診時にも同様の投与をしながら、右再診時においても、本件薬剤が原告の肝機能等に及ぼす副作用の有無について何ら積極的な経過観察や血液検査等を全く行おうとしなかったものであって、漫然と原告に対し本件薬剤の投与を継続したものと言わざるを得ない。

また、急性肝炎の機序並びに医師がその発症ないしそのおそれについて認識予見し得る時期及び必要な検査期間については本件の全証拠によっても必ずしも明らかでないことからして、本件薬剤の投与によって原告が肝炎に罹患したこと自体はやむを得ないことであったとしても、作田医師が七月五日の第二回目の投薬時に右のような措置を講じていれば、本件急性肝炎に罹患したこと又はそのおそれのあることを本件の場合よりも早期に認識予見することができたと認められ(前記認定のとおり、原告は右投与の二日後の七月七日には不調を来しており、七月一二日には被告病院内科の診察を受けており、結局、右不調は本件薬剤による急性肝炎の一症状であったと認められる。そして、仮に七月五日当時前記血液検査等を実施したとすれば、前記GOT等の従前極めて正常であった数値が相当高くなっていることに気付くことができたものと認められる。この認識ないし予見可能性について被告は具体的に争っておらず、右認定を覆すに足りる的確な証拠は全くない。)、本件の場合よりも早期に(少なくとも一週間程度早期に)本件薬剤の投与が停止され、適切な治療によって、本件急性肝炎をより軽い症状にとどめ、原告に四八日間もの入院を強いることを免れさせることができたものと認められる(その場合、入院期間がどれだけ短縮されたかどうかまでは確定できないが、患者が入院期間にどれだけ要するかということは元来諸般の事情に左右されるものであって、右短縮期間が確定できないからといって、原告の本訴請求が理由がないことにはならないというべきである。)。

右によれば、原告が右のような四八日間もの入院を余儀なくさせられたことと、作田医師が七月七日に本件薬剤を継続投与するに当たり前記能書に記載された注意事項に十分な注意を払わず、漫然とこれを投与し、その後何らの経過観察をしようとしなかった過失との間には相当因果関係があるというべきである。

そして、作田医師は本件診療契約上の被告の債務の履行補助者であるから、右の点につき、被告は債務不履行責任を免れない。

なお、原告は被告病院の医師が原告の右入院後速やかに本件薬剤の投与を中止することをしなかった旨をも主張しているが、この事実及びこれによる過失は、前記認定の経緯からして認めることができない。

3 損害

(一) 治療費等の損害

原告が本件急性肝炎に罹患し、被告病院で治療を受けたことは前記認定のとおりであるが、原告は被告に対し本件急性肝炎の治療費だけで原告主張の三二万二五六五円を支払ったわけではなく(原告の主張からしても、右は原告が被告に支払った金員の総額である。)、また、本件薬剤の投与自体に過失があったことが認められず、その副作用として肝炎に罹患したこと自体はやむを得ないこととすれば、その治療のため原告が若干の入院生活をし、その費用を出捐することもやむを得ないものであって、被告が損害賠償責任を負うべきものではないというべきである。そして、本件の全証拠によっても前記作田医師の過失によって原告が出捐を余儀なくされた治療費等の金額を特定することはできないから、この事情は次の慰謝料に含ませて、治療費自体については損害賠償を認めないこととする。

(二) 慰謝料

原告が本件急性肝炎に罹患した経緯、被告側の対応等の前記認定に係る一切の事情を総合勘案すると、原告が前記のとおり本来であればより短い入院治療で済ませたことができたであろうのに、四八日間もの入院治療を余儀なくされたことについての肉体的精神的苦痛を慰謝するには金二〇万円が相当である(本件のような債務不履行については、債務不履行に基づく慰謝料請求ができるものと認められる。)。

第四  結論

以上により、原告の本件請求は二〇万円の限度で理由があり、これを超える請求部分については理由がないというべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤 剛 裁判官 市村 弘 裁判官 林 潤)

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